Twitterをやめてから気づいたこと─SNSの「バズり」がもたらす新しい情報格差
こんにちは、ピーさんです。
最近、Twitterを使ってる人とそうでない人では世論の動向や考え方に大きな差ができているのでは?と思い、考察してみました。
かつての主流メディアであるテレビや新聞とはまた違った性格を持っているTwitter。
その特徴に触れつつ、危惧していること、私の考えを述べます。
SNS利用者とそうでない人の差の問題
ざっくり言うと
2018年現在のSNS利用率
突然ですがみなさんはTwitterを利用していますか?
TwitterはSNSの中ではメジャーな存在なので利用してなくても知ってる人は多いはずです。
10代前半の頃からスマホやSNSに親しんできた私の世代(〜20代前半)では、多くの人がなんらかのLINE以外のSNSを利用しているのではないでしょうか。
2018年現在のSNS利用率の調査結果を参考にすると、Twitterの利用率はLINEユーザー数の半数以上のようです。
【2018年6月更新】人気SNSの国内&世界のユーザー数まとめ(Facebook、Twitter、Instagram、LINE)
"共感度"が数値化されるTwitterと、日本の国民性
Twitterはひとつのつぶやきに「いいね」ボタンを押して共感を示したり、
「リツイート」をしてより多くの人に拡散することができます。
「共感力」こそ、これからの時代では大切だ、とよく言われます。
発信した方も、どれだけ共感されたのかは様々なことの判断基準になっているでしょう。
(リツイート数に"炎上"の意味も含まれるのは皮肉ですね。)
日本人の国民性として、
出る杭は打たれる
といったフレーズがあるように、日本人は同調性を求めます。
(だいっきらいなフレーズです。)
その同調性自体を批判するつもりは毛頭ありませんが、わたしは昨今のTwitterで起きていることを見ていると、
Twitterの数値化される共感度 と 日本人の同調性 の相性がよいために、時々弊害を生んでいる気がしてならないのです。
私がTwitterをやめたとき思ったこと
受験に集中するためにみたいな理由でTwitterをやめたことがあります。
そのとき思ったことは
- ちょっとしたつぶやきを発散できない
- 同世代でなにが流行ってるのかわからない
ということでした。
当時中学生とか高校生でしたが、Twitterで話題になったおもしろい話とか人に学校で全くついてけないんですよね!
自分のつぶやきができないのは、どうでもいいんです。
Twitterの使い方にもよるでしょうけど、わたしの場合は情報を仕入れるメディアとしての機能が大きかったことに気づきました。
それ以来、Twitterは発信より受信のために使っていて、
- 著名な人の考えを覗いたり
- 気になる展示を見つけたり
- おもしろそうな人を見つけたり
ネットサーフィンのように思いがけないところから自分にとっていい情報が流れてきたりするので、主にこういった目的で使っています。
なぜ「バズる」のか
*バズる要因*
- たくさんリツイートされてると、自分も共感しやすくなる
- リアルな言葉使いや感情が込められていて、共感しやすい
最近のTwitterって前より頻繁にバズっているように感じませんか?
バズるというのは簡単に言うと、何万何十万とリツイートされることです。
もともと有名な人のツイートではなく私のような無名の一般人のツイートが何百万の人に見られるなんて、、、すごい時代だなぁ。
バズるツイートのリツイート数やいいねの数は、私の予想では放物線状に(指数関数的に)増加しているはずです。
なぜかというと、それには先に述べた「数値化されること」と「同調性」が深く関係していて、
ざっくり言うと
という心理がはたらくからです。
全く知らない一般人がプライベートでつぶやいたツイートなんて気軽にリツイートできないです、少なくとも私は。
だけど身近な人でジワジワと共感・拡散されたツイートが、ある程度のリツイート数を得ると全く知らない人のでも気軽にボタンをポチッとできるようになる気がします。
そのツイートの何かフィルターのようなものが外れる感覚。
プライベートを離れて公共のものになる、とも言えるかも。
そもそもツイッターのつぶやきって、一般の人のリアルな言葉使いだったりリアルな感情がストレートに現れているのもバズる要因だと思います。
知識人がお堅い言葉で語った考えより、一般の人がリアルな体験を持ってリアルな言葉でつぶやいたツイートの方が、より馴染みやすくて生々しくて、感情がこもっていて共感が得られやすい。
ただ単なる情報格差ではない
バズるツイートは多種多様ですが、私が気になるのは「個人の考え」系です。
知識人ではなく一般の人で、自分の言葉で考えたり議論をしたりする人が日本には少ないと感じます。
バズりツイートに書いてあることを鵜呑みにして、これが世の中の意見、だから私もそれに賛同するという人で溢れてしまったら、社会はどうなってしまうのでしょう。
かつてはインターネットを利用している/していない人の間の情報格差が問題になっていましたが、私はツイッターを利用してる人/してない人の間で情報格差が生まれることを危惧します。
バズりツイートによってなんとなく生まれた「ツイッター内世論」と、一般的な「世論」に差が出てくるということはあり得ないでしょうか。
例えば。
ツイッターで「一切の家事や子育てを妻に押し付けてくる夫に対する愚痴」がバズると、大抵「それはひどい」と盛り上がります。
そこには反対の意見はなかなか出ませんし、そのツイートを見た大勢の人(リツイート数、いいねの数よりも膨大)の中でも、「それはひどいことなんだ」という認識が多少なりとも生まれるでしょう。
そういった類のツイートが定期的にバズると、ある種のツイッター内世論が形成されていくことがあるように感じます。「妻に全てを押し付ける夫はひどい」という世論。
でも実際にはそういった感覚を持たない、家父長制的な考え方の人だって大勢います。
それらの人がツイッターをやって、バズリツイートを見たら考えが変わるかは問題ではありません。ただツイッターをやっていなかったら大衆の間でそんな意見が広がってることを知らないままかもしれません。
「一つの情報だけで判断しない」なんて情報リテラシーの基本ですが、ある情報がはじめから莫大な人の共感を得ている状態で示されたら、自分も共感しやすくなってしまうのかも・・・・。